
こんにちわ、代表の朝倉です。
コモスの誕生秘話(朝倉編)の続きです。
新しい転職先である不動産デベロッパーの設計部門に入社した私が、鮮明に印象に残る松原との出会いを感じたところから話しを続けたいと思います。
私が入社した会社は東京都内でデザインに特化した住宅の建売を販売していた会社でした。まだ設計部もなく会社が急激な成長をし始めた頃のことです。
この会社は東京都といっても西部の東村山市に所在し、埼玉県の所沢という西武ライオンズ球場の近くで、その当時私が住んでいた江戸川区の葛西というところから、東京メトロの「東西線」と西武鉄道の「西武新宿線」を乗り継いで2時間弱という長時間をかけて通っていました。
ではなぜこんな東京の東から西を横断するような会社をえらんだかというと・・・・、この当時の会社を引っ張っていた専務が強烈にインパクトがあって、スタッフ全員が若い、そして何より、何かこの会社で得難い経験をさせてもらえるような「直感」というようなものを感じたからです。
私の直感は当たったようでした。
まず、こういった会社の特徴として、営業が一番強くその次に工務、そして設計(まだカタチにもなってませんが)という力関係でした。
これが設計事務所では、まず考えられない関係でした。
設計が図面を描かずとも、営業が描いた何となくのラフプラン(私から見た)が契約図になり、それをもとに工務が見積をし、大工や各職方に手渡され実際の住宅が建っていくという過程を間近にみて「愕然」としたのが正直な感想です。
そこに、設計者が介在せず、作り手の都合だけでプロジェクトが淡々と進められていくわけです。今までいた環境とは全く違う環境です。
以前なら設計者である私が図面を描かないと進めないのは当然で、勝手に監督や職方だけで進められることなどあり得なかったのです。
最初、私とほぼ同時に入社した上海出身の設計者のSさんと、まず設計の地位を確立することから始めました。
意識改革です。サッカーでいうミッドフィールダーのように必ず設計を経由してパスを現場に供給していくように・・・・。
もちろん反発もありました。
今まで自分(現場)たちの自由裁量でやれたのですから。
それと、言ったからには責任があります。
人の権限を奪う以上、仕事量と責任は飛躍的に増えます。
顧客との契約および打合せ、職方さんや現場監督との打合せ、そして作図業務と。
もうとにかく、全てに首を突っ込んでいました。
この当時、常時動いている現場で5〜6棟ほど抱えてたのですが、自宅まで2時間弱の距離もあり、10時30分頃の帰りの電車に乗らないと帰れないというのもあり、その時間までは目一杯働いていました。
本当に神経がすり減る毎日だったのを記憶しています。
設計者とは、現場監督とは、顧客とは・・・、そこからの再確認・再定義から啓蒙していくしかありません。
そうですね、設計の地位を確立するのに、やはり1年くらいかかったと思います。
設計の人数も順調に増え、私が退職する頃には10名ほどだったと思います。
しかし、ここは大東京、福岡とは人口が違います、物件量が違います、スピードが違います。
それを端的に示した例ですが、業務中に突然土地の物件のFAXが流れて来ます。
しばらくすると土地の仕入れ先である不動産会社の担当者から電話があり、間取りを描いて欲しいという依頼があり、その2時間後にはCADで描かれた図面を提出し、その土地に希望の間取りがはいることが確認されると、営業があらかたの販売価格をはじき出し、土地の購入の意思表示である買付証明書を売り主にFAXするという流れです。
この一連の流れに対応する自分を築くのに、やはり数ヶ月を要しました。
2時間必死になってプランを考えCADで清書して提出するのです。
ただ間取りを描くだけではありません。
東京は各区が独立した建築行政なので、建築条令が全て違います。
それらの確認や敷地の分割検討まで・・・・。
入社当初は、それを提出した2時間後には抜け殻のようにへとへとでした。
東京での生活が4年を過ぎ、自分でももう慣れたと思っていたのですが、この会社で感じるスピード感は、とにかく速かったです。
自分の周りのスピードがあまりにも速く、目まいをおこしそうなくらいでした。
しかし、このスピードがないと東京では、希望に添うような事業用の土地は手に入らないのです。
お客様が、我々の提供する物件を購入する「意志決定」の場合もそうです。
本当に良い場所、相応の値段であれば、もうバーゲンセールのような競争がそこにはあります。
バブルが崩壊して久しい時分だったのにです。
このスピードは多分、日本では東京だけではないでしょうか。
一種異常なスピードです。
みなさん、どうですか、土地建物を含めて1億円近くもする物件の購入の判断を瞬時にやらなくてはいけないこの異常さ。
福岡出身の私には衝撃的でした。
そんな衝撃をくらった25才の朝倉青年でした。
少し長くなりましたので本日はこのくらいで・・・・。
朝倉陽一