
こんにちわ、代表の朝倉です。
こちら肌寒いです。
昨日の気温は日中で25℃さすがは会津です。
汗をかくことはありませんでした。
さて、昨日は猪苗代にある、私お気に入りのおいしい蕎麦屋を出た後、無性に訪れたくなったところがあったんですね。
それは磐梯山の麓にある猪苗代湖に注ぐ日橋川に架かっている「十六橋(じゅうろっきょう)」という古い橋です。

約150年前の戊辰戦争の時、官軍となった薩長連合軍と旧幕府軍と会津藩の連合軍が激突した古戦場なんですね。
鳥羽伏見の戦い以来、連戦連敗の会津軍は、本拠の鶴ヶ城以外に越後口や南の白河口や二本松方面などの3面を敵に包囲されていたんですね。
ご存知の通り、会津藩は薩長連合の官軍の第一の標的だったんです。
それは会津藩がこの当時「京都守護職」という治安警察軍を組織し、新撰組を雇い長州や土佐の浪士を片っ端から斬りまくったことや、その後の「蛤御門(はまぐりごもん)の戦い」では長州藩を完膚無きまでに叩き潰しています。
そういった背景があるんですね。
その恨みは相当なもので、長州藩士は自身の草履の裏に「薩賊会奸(さつぞくかいかん)」と書き記し歩いていました。
その一方の薩摩藩は薩長連合により仲間になり、怒りの矛先は会津藩に集中することになったんですね。
その怒りのエネルギーが戊辰戦争。
この「十六橋」の手前の”戸ノ口原の戦い”では悲劇で名を馳せた「白虎隊」が進撃した激戦地でもあったんです。
薩長の圧倒的な最新火力兵器の前になすすべもない会津軍、この「十六橋」の争奪戦が行われましたが、結局会津軍は急進激してくる官軍の前に橋を爆破すらできず、一気に本拠である鶴ヶ城に迫られるという事態に陥いりました。
刀槍の時代は終わったことをまざまざと見せつけられたんですね。
その後の白虎隊の自刃、1ヶ月間の鶴ヶ城の籠城の末の落城、そして会津藩士族は青森の斗南の地に移封という悲劇へと繋がって行きます。

話は戻って、ここ「十六橋」。
当時は石造りの橋だったようですが、現在はこのような鉄橋です。
本当に静かすぎるくらいの場所で、周りの景色を目に焼き付け目を閉じれば当時の光景を連想できそうです。
思い出します。
私が中学生の時代、年末時代劇「白虎隊」で涙した私。
録画したビデオテープを擦り切れるほど何回も何回も視聴していました。
歴史好きの私が聞きかじっていた幕末戊辰の戦いでの悲劇の地、「会津若松」。
その私が22才の頃、東京の設計事務所勤務の時に舞い込んできた会津への長期出張の話。
もちろん二つ返事で引き受けました。
嬉しくて小躍りしたことを思い出します。
それから、半導体工場の建設現場事務所に常駐すること約10ヶ月。
とにかく公私ともに楽しめた出張でした。
お金を貰いながら建築の勉強もできたし、何より妻との出会いもありました(笑)。
正直、自分にとっての第二の故郷になるとは・・・夢にも思っていませんでしたね。人生、わからないものです。
そんな会津が大好きです。
本日もこの辺で・・・。